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2017笹川杯作文大賽優勝獎作品賞析:「私と日本」

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優勝獎

2017笹川杯作文大賽優勝獎作品賞析:「私と日本」

「私と日本」

湯依姮(華東師範大學)

基本的に私は音楽が聴ける環境にあれば、音楽を聴いている。しかも、気に入った曲があると、何回もリピートして聴いてしまう癖がある。音楽にはやはり霊性があると思う。昔聞いていた音楽はある形で記憶に殘り、それを聴くとその頃を思い出したり、懐かしい匂いと雰囲気が鮮明に蘇ったりする。

私が日本語を勉強し始めたきっかけも日本の音楽である。『Jポップの心象風景』という本に書かれているように、音楽には人を魅せる力があり、音楽は私と日本を繋ぎ、數々の思い出とともに心に染み入る。

哀しみのルート16——田舎の風景

大都會で生まれ育った私は、一年間の田舎暮らしにかなり不安を抱いていたが、今はすっかり日本の田舎を好きになった。

私が住んでいた町は、國道16號環狀線が通っている所謂田舎である。空港から大學へ向かう途中、バスの窓から田舎の景色を見て、その美しさと心地よさに惹きつけられてやまなかった。

イザベラ・バードというイギリスの旅行家は、「日本の農村は、鍬で耕したというよりも、鉛筆で描いたように美しい」と旅行記の中で書いている。時あたかも菜の花が色鮮やかに咲く頃、可愛らしい家屋が黃色の絨毯の中にぱらぱらと散在した光景は言葉では言い表せないほど美しかった。そんな中、ワンちゃんを連れてゆっくり散策している夫婦を見かけ、ごく當たり前の光景に癒された。

「哀しみのルート16」を口ずさんで、ぼんやり考え事をして、いつの間にか空が夕焼けで茜色に染まった。その風景はとても溫かく、そして切ないものである。

奏(かなで)——熱い!ニッポン!

スキマスイッチの「奏」とは、何年かぶりにラジオで出會った。夢の実現のために離れ離れになる戀人同士、獨り立ちする娘とそれを応援する親、苦しい時から一緒に戦ってきた仲間の旅立ち……毎回違うストーリーが頭の中で展開され、聴くたびに涙してしまう本當に大好きな曲だった。しかし、そんなに馴染み深い曲だが、「奏」が甲子園のテーマソングに選ばれたというのは知らなかった。

ずっと競技とは無縁だった私は、三浦しをんさんの『風が強く吹いている』という作品を読んだのがきっかけで、スポーツに興味が湧いた。

「夏は甲子園、冬は箱根駅伝」と言われるように、題材となる「箱根駅伝」は甲子園並みに盛り上がり、注目されている競技大會の一つである。箱根駅伝にハマった私は初売りに行くついでに、大手町の近くに見に行った。留學先の大學は出場していなかったが、現場の熱い雰囲気に惹かれ、「頑張れ、頑張れ」と周りの人と一緒に聲を上げ、手に汗を握ってゴールで選手たちを待っていた。

その時、ふと「奏」のメロディーを思い出した。応援ソングに相応しくない悲しさは心地よい切なさに変わり、胸がギューと締め付けられた。甘酸っぱい青春を久々に味わって感動した。夢を追いかける途中で挫折したり、どんなにめげそうになっても、夢を諦めたりしない前向きな姿勢が眩しい。

昔聴いていた曲は、スポーツ大會の熱いイメージと重なり、自分の青春時代を鮮明に思い出させつつ、次第に愛することに情熱的で一生懸命な日本人の印象へと繋がっていく。素敵な青春の一ページを作ることに専念し、汗水たらして青春を全力で謳歌するのは日本人らしいと思わずにいられない。

サヨナラの意味——日本との絆

一年の締めくくりとして、深夜ラジオで「サヨナラの意味」という私にぴったりな卒業ソングに出會った。それを聴いて、日本での一年間の留學生活が隅々まで思い出された。

日本との絆、やっとできたと、曲を聴きながらそう思った。言葉も住居も中國と全く違う土地での生活は、孤獨や力の足りなさを感じることも多々あったが、今振り返ってみれば、やはり楽しい思い出は圧倒的に多い。

人見知りの私は、コミュニケーションを重ねることを通じて、先生に名前を覚えてもらったり、サークルの皆に仕事を任され、信頼されたりして、日本人の優しさに觸れた。インドア派だった私は、違う景色と違う自分を探すため、旅に出た。一人旅をして孤獨を噛み締めたり、こぢんまりとした浜の絶景やグルメなどを満喫したりして、たくさんの土産話を持って帰ってきた。

歌詞に書かれているように、「サヨナラに強くなれ、この出會いに意味がある。悲しみの先に続く、僕たちの未來」。出會いは偶然ではなく縁によるもの。「縁」を大切にしていると何時しか「絆」に変わる。日本語を専門にした私は、この選択を後悔していない。日本に出會った時の不安と期待が入り混じった甘酸っぱい気持ちと日本と別れた時の名殘惜しさは、今考えても夢のようなのである。

音楽のお陰で、日本の人々とのつながり、素晴らしい出會いと交流の場ができただけでなく、Jポップというメガネで日本という國を異なる視點でのぞくこともできた。私はこれからも歌いながら、中國と日本の共生への道を探り続ける。

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