爲什麼日本人不擅長英語?
みなさんは、英語が話せますか?
大家英語說的怎麼樣呢?
現在は小學校から英語の授業がありますが、少し上の世代は中學校から英語を學びましたよね。
雖然現在日本從小學開始就有英語課,但是在較早的年代是從初中開始學習英語的。
一般的には中學、高校の6年間、英語の授業があったにもかかわらず、日本人の多くは英語を話すことができません。
一般來說,在初中、高中的六年裏,雖然有英語課,但是大多數的日本人還是不會說英語。
今回は、日本人がなぜ英語ができないのか、苦手な理由について調べてみました。
這次小編就調查了一下有關日本人爲什麼不會英語以及不擅長英語的理由是什麼。
日本の英語教育について
日本的英語教育
一般的に英語の授業は中學から始まりましたが、平成23年(2011年)に、小學校5年生・6年生の英語が必修化されました。
一般來說,英語課是從初中開始的,但是在平成23年(2011年),小學五年級、六年級的英語課開始必修化。
令和2年(2020年)に、小學校3年生・4年生の英語が必修科され、小學校5年生・6年生の英語が教科化されます。
在令和2年(2020年),小學三年級、四年級的英語課將列入必修課,而小學五年級、六年級的英語課開始教科化。
「必修化」とは、國語や算數のように「教科」ではないので教科書などはなく、成績評価の対象にはなりません。
所謂“必修化“,不像國語課和算術課這類的科目,所以是沒有教科書,也不能作爲成績評價的對象。
歌やゲームを通じて英語に親しもうというのが目的です。
目的是通過以唱歌和遊戲的方式來親近學習英語。
「教科化」とは、國が指定した教科書を用い、國語や算數のように「教科」として成績評価の対象となることです。
而所謂“教科化“,是指使用國家指定的教科書,像國語課和算術課一樣作爲”教授科目“成爲成績評價的對象。
日本人はなぜ英語ができないのか?英語が苦手な理由とは?
爲什麼日本人不會英語?不擅長英語的理由是什麼?
日本人が英語ができない、苦手な理由は、日本人らしさが影響していたり、學校の英語教育が原因など、いくつかあるようです。
日本人不會英語、不擅長的理由,可能是受日本人其性格的影響以及學校的英語教育等方面的原因。
◆日本人は完璧主義だから
◆因爲日本人是完美主義
日本人は間違ってはいけない、完璧でなければいけないと思う人が多いようです。
大多數的日本人都認爲在做任何事上都不能出錯、必須要完美。
そのため、発音や文法が未熟な英語を話すことができなかったり、間違えているかもしれない英語を人に聞かせるなんてとんでもない!と思ってしまうそうです。
因此,不能說發音和語法不標準的英語,或者把可能有錯誤的英語說給別人聽,日本人會認爲這是很荒唐的事情。
◆恥ずかしいと思ってしまうから
◆因爲會覺得很不好意思
発音や文法が未熟な英語を話して、もしも笑われたら恥ずかしい!
說發音和語法不標準的英語,如果被嘲笑的話就太丟臉了!
もしも間違えてバカにされたら恥ずかしい!
如果說錯了被認爲是笨蛋的話太丟人了!
そんな風に考える人が多く、英語を學びたいという気持ちよりも「恥をかきたくない」という気持ちのほうが強くなってしまうようです。
這樣想的人有很多,比起想學英語,“不想丟臉”的想法似乎更加強烈。
◆相手に気を使いすぎるから
◆因爲太在意對方的想法
日本人は、自分以外の人に対してとても気を使います。
日本人對自己以外的人都特別小心翼翼。
日本人同士はもちろん、相手が外國人であっても気を使いますので、「間違った英語だったら申し訳ない」とか「相手の英語のレベルに合わせなければならない」と思ってしまい、未熟な英語では外國人と會話をすることさえできなくなるようです。
日本人之間就不用說了,即使對方是外國人也會特別注意,所以日本人總會想着“如果是有錯誤的英語真的很抱歉”、“必須要配合對方的英語水平”,用不太熟練的英語交流,好像連和外國人說話都不會了。
◆文法が異なる
◆語法不同
日本語の文法は「主語、目的語、動詞」の順番が基本ですが、英語は「主語、動詞、目的語」の順番になります。
日語的語法是以“主語、賓語、動詞”的順序爲基礎的,而英語則是以“主語、動詞、賓語”的順序。
例えば「私は(主語)東京へ(目的語)行きます(動詞)」は英語では「I(私は) will go to (行きます)Tokyo(東京へ)」となります。
比如“我(主語)東京(賓語)去(動詞)”用英語說就會變成“I(我)will go to(去)Tokyo(東京)。“
幼少期から話していた日本語とは異なる文法にとまどい、苦手意識を持ってしまう人が多いようです。
很多人會覺得這和從小所說的日語語法不同,從而感到困惑,產生恐懼心理。
◆英語教師が日本人で、ネイティブな英語が話せない
◆英語老師是日本人,不會說地道的英語
ネイティブな英語を話せる外國人を講師に迎える學校もありますが、多くの場合、日本人の英語教師が英語の授業をします。
雖然也有學校會請母語是英語的外國人當講師,但大多數情況下,都是由日本人自己當英語老師來上英語課。
英語圏で生まれ育ったのではなく、日本で生まれ育った教師がネイティブな英語を話すことは難しいです。
不是在英語環境裏出生長大的,而是在日本出生長大的老師很難能說的出一口地道的英語。
そのため、子どもたちはネイティブな英語に觸れる機會がないまま、中學高校の6年間を過ごすことになります。
因此,孩子們沒有機會接觸到地道的英語,就這樣度過了初中和高中的六年。
◆英語が必要ないから
◆因爲英語不是必需的
日本に住んでいると、日本語だけ理解できていれば生活に困ることはまずありません。
住在日本的話,如果只懂日語的話,生活基本沒有什麼問題。
外國人が増えてきた昨今でさえ、外國人と會話をする機會はほとんどなく、英語を話す機會は滅多にないのです。
即使是在外國人不斷增加的今天,和外國人對話的機會幾乎沒有,說英語的機會也很少。
他の國を見てみると、多民族國家などは英語を共通語としていることもあり、母國語だけでは多民族との交流ができないため、自然と英語を身につけて行きます。
再看看其他國家,多民族國家也有把英語作爲標準語的,因爲僅憑母語是無法和多民族交流的,所以自然而然地就學會了英語。
また、母國語とは別に英語を學ぶ國の子どもたちは、大學に進學するために英語を身に付けることもあるようです。
另外,與母語不同,學習英語的國家的孩子們,也有的是爲了上大學而學習英語的。
日本では、當たり前のように大學でも日本語で授業が行われますし、難しい専門書なども日本語で書かれているものが多いです。
在日本,大學課堂上理所當然會使用日語授課,也有很多複雜難懂的專業書是用日語寫的。
これは、明治時代(1868年~1912年)に、歐米諸國の書物などを日本語に翻訳し、新しい日本語を作りながら英語と結び付けていった先人たちのおかげなのですが、日本以外のアジアでは英語ができないと高等教育を受けられないほど、英語が必要なものになっています。
這都多虧了明治時代(1868年~1912年),將歐美各國的書籍等翻譯成日語,創造出新的日語,並與英語相結合的先人們,但是在日本以外的亞洲,如果不會英語的話就不能接受高等教育,英語成爲了必需的東西。
日本語だけで十分に生活ができるので、「英語が必要」と考えることが難しいのです。
只靠日語就足以生活,所以很難想到“英語是必需的”。
そんな狀態なのに、學校の授業で英語を學ぶことになるため「英語は受験のため」「授業だから仕方ない」と、消極的に學ぶことになり、苦手意識が強くなってしまうようです。
在這樣的一種狀態下,卻要在學校的課上學習英語,難免會產生“學英語是爲了考試“”因爲是上課所以沒辦法“的想法,學習態度變得消極,恐懼心理越來越強烈。
日本人がなぜ英語ができないのか、苦手なのかがわかりましたか?
爲什麼日本人不會英語、不擅長英語,大家都知道了嗎?
街で外國人観光客に道を聞かれて、片言の英語と身振り手振りで説明したら理解してくれた!というのはよく聞きますよね。
在街上被外國遊客問路,用隻言片語的英語和肢體語言說明後,對方就明白了! 我們經常會聽到這樣的事情吧。
文法を間違えないように慎重になるよりも、間違えてもいいので知っている単語を繋げてみると、案外通じるものです。
與其小心翼翼地爲了不弄錯語法,不如試着把知道的單詞聯繫起來,即使錯了也沒關係,這樣或許意外地行得通。
學校の授業で苦手意識を持ってしまった人が英語を習得するのはとても難しいことかもしれませんが、外國人とスムーズにコミュニケーションが取れるようになりたいですね!
在學校的課上,有恐懼心理的人學習英語也許是一件非常困難的事情,但還是想努力變得能和外國人順利流暢地交流呢!
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